境内は一宮市の中心、本通りの正面目抜きにあり、一宮市が、神社を中心として発達した町であることが分かります。周囲には古来、土塀をめぐらしていました。その辺りを馬道具の飾立場とすると共に出店を設け、門前市も盛大に開かれていました。
本殿・渡殿は平成18年に文化庁より国の登録有形文化財に指定されました。
※祭文殿、拝殿は現在登録申請中
当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。
流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。
当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。
その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。