尾張國一之宮 真清田神社 トップページ > 尾張の國一之宮について
尾張國は、現在の愛知県名古屋市以西を指し、知多郡・愛知郡・春日部郡・丹羽郡・葉栗郡・中島郡・海部郡・山田郡を一國としています。平安初期に編纂された延喜式神明帳には尾張國の延喜式内社として、大社八坐・小社百十三坐の計百二十一坐が掲載されています。
一之宮の制度は、朝廷・国衞など往時の公的な機関が定めたものではなく、神社御祭神・御由緒・御鎮座歴史の最も古く尊い第一の社を当國の一之宮として、蒼生が定め人口に膾炙(かいしゃ)されたものです。
「一宮市章」についても、当社御神宝である「五鈴鏡」から模ったもので今日も一宮市民に広く親しまれています。
当社は、明治十八年国幣小社、大正三年国幣中社に列格され昭和二十年七月二十八日夜よりの空襲により御本殿以下社殿が悉く焼失しました。
翌昭和二十一年十月二十三日、昭和天皇の一宮市行幸を仰ぎ、神社東南の一宮市役所屋上から復興途上にあった市内の情況について御視察あらせられました。当時の吉田萬次市長は、真清田神社と一宮市の関係について一市一社として当神社が一宮市民から崇敬を受けていることをご説明申し上げ、併せて眼下に見える当社の戦災跡をご覧願いました。
陛下には、当社の復興をお心に掛けられ「確かに復興をおやりなさい」と有難いお言葉を賜りました。爾来吉田萬次会長のもと、昭和二十六年真清田神社造営奉賛会が設立され、同三十二年御本殿・拝殿・社務所、同三十六年楼門、同四十三年神楽殿・斎館が再興され、往時の御社殿などが復興されました。