尾張國一之宮 真清田神社 トップページ > 真清田神社の周辺案内
一宮城に住んでいた関氏は、平重盛の子孫で、伊勢関氏の一族であり、その関氏が社領を守るためこの地に構えた城。関長安は、はじめ織田信長に、のちに秀吉に仕え、天正12年(1584年)小牧山の戦で長久手に戦い討死した。その後不破源六広綱の城となり、天正18年広綱が去ってから廃城となりました。
日本武尊が伊吹山征伐の途中、下り松に笠を懸け小休止した場所といわれています。七つ石で剣を研ぎ、北の花池の蓮田に咲く花をめでられたとも伝えられています。
大小18個の石群の中に岩塊が7つあるので、「七つ石」と呼ばれます。日本武尊が熱田の森から伊吹山征伐の途中、七つ石で剣を研いだという伝説から「剣研石」とも呼ばれます。
浄瑠璃や歌舞伎で名高い照手姫が室町時代中頃、常陸(現在の茨城県)の城主、小栗判官助重と恋の道行の折、鎌倉街道脇のこの地の松に小袖を掛け、しばし休息したと伝えられています。