この地は、真清田大神が降臨した場所と言い伝えられています。この土地を灯明料所として真清田神社に寄進し、年貢の一部が納入されたことに由来するものといわれています。
鷲津幽林が若くして京都にて勉学し、のちに丹羽にもどり、近隣の人々に漢学を教授したのが漢学塾・萬松亭有隣舎の始まりです。日本を代表する詩人森春濤もこの有隣舎で漢詩を学んでいたといわれています。
万治2(1659)年、幕府は木曽の木材を管理するのに適したこの地に、川並奉行所を設置。天明元(1781)年、幕府は川並奉行所を昇格させ、尾張・美濃の両国をまたがって管轄する北方代官所を設置。1871年に廃止されました。